のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都・烏丸駅、地下鉄烏丸線・
五条駅よりすぐ近く因幡薬師こと「平等寺」です。
これが「院」となると超有名寺院になるんですけれどねぇ。
まぁ、こちら「平等寺」も
日本三如来の一つとして数えられているんですが。
ちなみに皆さん気になる(…ならない?)日本三如来ってーのは、京都・嵯峨釈迦堂の「釈迦如来像」、長野・善光寺の「阿弥陀如来像」、そしてここ平等寺の本尊「薬師如来像」(※)なのです。

この薬師様は、長徳三年(997)というから
平安時代のこと。
因幡国(※現在の鳥取県東部)の国司であった「橘行平(たちばなの・ゆきひら)」は勅命の途中で病を発し、寝込んでしまいます。
そんな行平の枕元にすぅーっと
オヤシロ様…でなくて
僧が現われました。
「
この国の海中に木があるから、引き上げて供養すれば病気も治るよん」
みたいなことを言われ、行平はふと目覚めるのです。
そのお告げに従って因幡国は賀留津(かるつ)に赴くと、その海中から一体の「薬師如来像」を引き上げるのでした。
残る「因幡堂縁起」によると、像は仮堂に安置し、無事病の治った行平は京都の自邸へと戻るんですが、
それを追うようにしてなぜか薬師如来像も京都に飛来(笑)、その自宅に入ったのです。
はー…すごい・すごい(棒読み)
逆に、もし仮にこれが本当だとしたら、
呪われている可能性もありますよね。
…ごめんなさい、軽いジョークですよ。
さて、猫に餌あげたら自宅までついてきた、みたいに付きまとわれてしまった行平は自宅を改造してこれを祀るのでした。
これが「平等寺」の起こりです。
その嘘話…じゃなくて噂話(笑)は広く親しまれ、それ聞きつけた民衆からなんと天皇家までが参拝、深く信仰されることとなるのでした。
承安元年(1171)には、なんと高倉天皇より「平等寺」の勅額を賜ることとなるのです。
その後、一遍聖人が布教の際の起点とし、
猿楽興行や
歌舞伎興行(
江戸時代)、また
浄瑠璃発祥の地ともいわれるほど、京都の民衆らに親しまれる町堂となっていくのでした。
同時に、度重なる火災にも遭った結果、寺領は次第に小さくなり、明治維新の際にはなんと堂宇が灰燼に帰すこととなるのです。
本堂が復興したのは明治十九年のことだそうで、こちらが現在の本堂となっているのでした。
薬師様は運良くそんな火災からも逃れ、当時の面影を今に残しておられます。
こちらは一木造りの立像で、左手にちょこんと薬箱を乗せておるのでした。

(※)本尊「薬師如来像」は通常非公開。
八月八日・四月八日午後の特別公開。
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平等寺(因幡堂) 京都市下京区烏丸松原上ル東入ル因幡堂町728
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